日本国内初の恐竜化石モシリュウ
日本が恐竜王国として世界から注目を集めているが、数十年前まではそのような認識など皆無で、日本には恐竜はいなかったと「ドラえもん」の原作でも言及されていたほど。
だが70年代末期に発見された、とある化石がそれまでの認識を覆し、日本恐竜研究の幕開けとなったのである。今回はその恐竜を紹介していく。
純国産恐竜
その恐竜の名は「モシリュウ」
1978年の岩手県岩泉町の茂師(もし)で発見された、日本国内初発見の恐竜と、その化石の事を指す。
名前の意味は発見された土地の地名からだが、現在に至るまで正式な学名は付けられていない恐竜である。
体長は化石が一部しか見つかっていないために不明で、化石は長さ52㎝の上腕骨のみであった。生息していた年代は地層を解析した場合、約1億年前の白亜紀前期ごろと推測される。世間に発表されたのは、1981年になっての事であった。
モシリュウは道路沿いのとある崖から突き出していたところを、東大教授の「花井哲朗」氏と、国立科学博物館研究員の「加藤友喜」氏の手により偶然発見されたもので、国内初の恐竜化石と話題になった。
化石が発見された地層は「宮古層群」という、浅い海から淡水域にかけ堆積した元水中の地層であり、このことからモシリュウは生前、死んだ後に死骸が海中に流され、現代の発見場所に行きついたものと考えられる。
化石の保存状態が悪かったのは、死体が動物に食い荒らされたからであり、その後水に流され発見地に埋まったものと推測されている。
宮古層群は元が海であったために、アンモナイトや二枚貝などの海生生物の化石が数多く発見されている、学者の間では日本を代表する有名な地層であった。この恐竜化石の発見により日本各地で化石発見の報告が相次ぎ、近年の恐竜研究の躍進に繋がるのである。
正体は不明
発見された化石は部分的なものであったことに加え、保存状態が悪く、表面はひび割れかろうじて「骨」の輪郭を留めていたくらいの劣悪な状態であり、それゆえ細部を解析しての種族の解明や特定も困難を極めた。
発掘時にも一部が欠けていたほどで、発掘がもう少し遅ければ化石は完全に破壊されていた可能性が高いという。
これ以前にも恐竜化石と呼べるものの発見例は3件程あったが、そのうち2つは恐竜とは違う別の生物の物とわかり、残る一種は現在はロシアのものであるとされてしまい、純粋な「日本国産」の恐竜は事実上このモシリュウが初。
中生代当時の日本の国土の大部分は海であり、恐竜類の化石は見つからないというのが常識であったという。
年月が経ち、中国の竜脚類「マメンチサウルス」の骨格と比較・解析した結果、竜脚類の一種の恐竜と推測されている。
唯一発見されている上腕骨の化石の大きさから、モシリュウの体長を割り出した所、推定全長20m~25mとかなりの巨体を誇る大型竜脚類だったと考えられている。
だがこの推測も実は信憑性が乏しいもので、マメンチサウルスはジュラ紀中期の恐竜で、モシリュウの生きていた年代とは時間が合わず、なによりも化石自体の保存状態が悪すぎて詳細な分類まで掴めないのが現状である。未だに新たな化石も見つからず全容が解明できない謎の恐竜というわけだ。
どちらにしろ、この発見により日本でも恐竜が居たという証拠になり、そして現代の「むかわ竜」こと「カムイサウルス」の発見へともつながった。
日本が恐竜王国と呼ばれ世界からも注目を集めるほどの一国へと未来が切り開かれたのであるのは、間違いのない事実である。