ツァボの人食いライオン⑥、加害ライオン補足
少し空いたが、人食いライオン事件の最後、何故ライオンが人間を食べるようになったか詳細を書いていく。
人食いライオン事件、終息
前回、ついに二頭目のライオンを仕留めることに成功したパターソン。これによりもう襲われる心配がなくなったことで、工事は順調に進み、1899年2月に遂に鉄道工事は完了し、汽車が通るようになった。
労働者たちもパターソンを英雄と讃え、逃亡していた労働者たちも戻ってきた。彼らは感謝の印に彼に銀杯や、詩を送ったりもした。
ある日、パターソンは地図作りのためかサイやカバの通る獣道をたどり、次第に森深くにまで来ていた。
すると水路の近くにホラアナを見つけた。そこはなんと、加害ライオンの根城だったのだ。入り口や中には人骨があり、偶然犯人たちのアジトを見つけることができたのだ。
ほぼ一年近く、人食いライオンとの死闘を繰り広げたパターソンは、3月に仕事を終わらせ、同年の終り頃にイギリスへ船で旅立っていった。
こうして100年経っても世界で語り継がれる、類を見ない人食い事件は終わることになった。
異端のライオン
犯人のライオン2頭は、どちらも全長3m近くある非常に大柄なライオンで、兄弟だったことが分かった。この二頭が人を襲った原因は諸説ある。
当時のツァボ付近は伝染病が流行し、エサが元から少ない地域がさらに食糧不足になったこと、ライオンが高齢で体力的に狩りが困難であったことだとか、
群れに属せずまともな狩りもできなかったとされている。
歯に疾患があり、狩りに支障が出てしまい、狩りやすい人間を食べるようになったともされる。オスライオンにも関わらず、タテガミがほとんどなく一見してメスライオンの様だった。
ツァボのライオンは、オスでもタテガミがほぼないという特徴がある。これはアフリカでも屈指の酷暑地帯であるツァボで、体温が過剰上昇するのを防ぐためという。
元々ツァボのライオンは、普通のライオンとは違い、大型草食獣が少なく小型獣を狩る機会が多く、エサが少ないので他の個体ともわけあって食べたり、メスが主体となってチームプレイをするのではなく、単独で狩りを行うなど、
普通のライオンに比べて代わった生態を持っているのが特徴。
この二頭の毛皮は売り飛ばされたが、現在はシカゴの博物館で剥製となって展示されている。
起こるべくして起きた
実は当時の工事現場では、労働者たちの死が相次いでいた。慣れない異国の地の過酷な環境とストレスのせいで、マラリヤや黄熱病に罹る患者が続出し、医療面も不十分であったことも災いし、かなりの死者が出たという。
遺体を埋葬する暇もなく、死んだ労働者の遺体は谷底に投げ込む形で処理していたらしく、加害ライオン二頭がその死体を食べ、人肉の味を覚えたことが事件を招いたと推測されている。
日本でも一度人食いをしたヒグマは、人間の無力さや狩りやすさを学習し、積極的に人間を捕食するようになるという。
だがより詳しく調べると、加害ライオンは歯の健康状態は良好で、年齢も若い個体だったという。
食糧不足だった当時のツァボと、人間の侵攻、死体の遺棄など悪い条件が重なって引き起こされた事件だったと言えるのがこの人食い事件だった。